子育て日記&趣味の部屋

卒業と新たな出発

2014年03月24日

 3月に、我が家では2人の卒業があり、4月には新しく旅立ちます。

 看護大学に通っていた次女は、無事卒業し、春から京都府内の自治体の保健師として働き出します。地域住民の健康を守るために頑張ってほしいと思います。

 高校3年の長男も、何とか卒業し、なんとと東京のアニメの専門学校に行くことになりました。どうなることやら心配は付きませんが、送り出すしかありません。

 長男の高校は、何らかの理由で、普通高校に行けなかった子どもが学ぶインターネット通信の高校でした。今年の卒業生は157人でしたが、卒業式に参加できたのは半分程度でした。進路の決まっていない子どもさんも多くあります。でも、あせらなくてもいいと思います。ゆっくりと体調を整えて、一歩ずつ歩き出せる日がきっと来ると思うのです。

 長男のことでは、いろいろ悩むことも多くありましたが、親の私のほうが、学校で出会った保護者の皆さんと友だちとなり、たくさん励まされ、子どもに対する見方も変わったと思います。

 私たち大人は子ども達が社会に出た時に応援してやれる社会をつくる役割があると思います。原発をなくし、安全で平和であること、ブラック企業などで子どもが潰れることがないよう頑張りたいと決意しています。

やなせたかしさん ありがとう!

2013年10月15日

やなせたかしさんと言えば、子ども達が小さい時に、アンパンマンのテレビやいろんなグッズなどで、ほんとに御世話になったという感じです。「アンパンマン描いて!」と子どもたちに言われて、何度描いたことでしょう!子どものエプロンに刺繍をしたこともあります。

 写真は人権あゆみちゃんですが、やなせたかしさん作です。人権擁護委員会の啓発活動の宣伝の時に登場しますが、中に人権擁護委員が入ってます。私はこの時、スカートをはいていたので、入りませんでしたが、次の機会には一度チャレンジしようと思っています。それにしても、大人になってもお世話になるとは驚きました。

ニュースで紹介されてましたが、一度は引退を考えていたそうですが、東日本大震災で力になりたいと、引退をやめたそうです。94歳の生涯は、たくさんの子ども達や大人達を笑顔にし、勇気を与えた素晴らしい人生だったと思います。心からありがとうございました!

「10年後、どうなっていたい?」

2013年06月15日

  高3の長男の保護者の会で講演会で、立命館大学の春日井敏之教授のお話でした。以前にもいじめをテーマにしたシンポジウムでお話を聞いたことがあり、2回目でしたが、子どもの立場、目線に立って考えるお話は心に響くものがありました。

 子どもとぶつかってもいい。でも言いすぎたなと思ったら、後で謝ったらいい。ただ、やっぱり子どもの存在を否定するような事は言ってはいけない。大人になっても、人間は評価してほしいし、褒めてもらいたい。僕はもうすぐ60歳になるけど、家に帰ったら、奥さんに「僕、頑張っているやろ」って言って、「よしよし、よく頑張ってるね」と頭をなでて褒めてもらうと話され、びっくりしました。

 印象に残ったのが、表題にある「十年後、どうなっていいたい?」と話をするといいというアドバイス。子どもは親の自慢話ではなく、親の思春期の失敗談を聞きたい。「おかんやおとんも、そうやったんやな」と思うと楽になると。

 いろいろ聞いても、子どもはよく「べつに・・」と言います。それは、「今はそっとしといて」ということだそうです。「世界中が敵になっても、あんたの味方やで」と言ってあげるといいそうです。実践したお母さんの子どもの反応は、「世界中が敵になるような事にはなりたくないわ」  確かに・・・。

体罰を考える。古賀稔彦さん 尊敬!

2013年02月10日


今日の赤旗日曜版の一面の記事です。柔道金メダリストの古賀稔彦さんの記事に感動しました。体罰をなくすための提案として、「今回のことを機に、すべての大会で、指導者の体罰、暴力をやめようと宣言すること。文章にして配るなど、柔道界あげて体罰をなくす努力をすべきだと思います」と。実際に古賀さんが総監督を務めるIPU環太平洋大学の道場での少年大会でのあいさつで、体罰について述べられた結果、その大会では指導者による罵声も殴る場面もなく、子ども達はいきいきと柔道をしたとのこと。
 指導者として、その子をいかに伸ばすか、成長を考えてどんな言葉をかけようか。選手が100人いたら100人の処方箋がいる。そのためにいろんな知識やや引き出しが必要。古賀さんは指導者になってから、「自分の経験だけではだめだ。医学的は知識が必要だ」と感じ、弘前大学大学院で4年間、スポーツ医学を学び、昨年3月に博士の学位を取られたそうです。「指導者こそ努力し、学ばなければならない」と。

 感動して涙が出てきました。ぜひ、この記事を多くの方に全部読んでほしいと思います。柔道だけに限ったことではないと思います。学校教育、子育てもそうだし、職場での教育にも言えてると思います。私も常に学ぶ姿勢を持って、取り組みたいと思いました。

美術療法

2012年06月19日

 長男の学校のPTAの取り組みで、臨床美術の紹介と実践があり、参加しました。認知症の治療や子どものPTSD(心的外傷後ストレス)やいわゆるゲーム脳など発達の気になる子どもに対する臨床美術研究も行われているそうです。保護者のOBの方で老人ホームなどで活動されているそうです。

 水の音をテープで流し、聞いたイメージをトレーシングペーパーにクレパスで描き、それをハサミや手でちぎって、はがきに貼りつけました。海の中の魚とひまわり、スイカの貼り絵をしました。なかなか自分でも、うまくできたと満足、満足。

 音楽療法は聞いたことがありましたが、同じ芸術の分野で美術の療法もあるんですねー。 

 

入学式

2012年04月09日

4月5日に次女の入学式があり、遠かったけど行ってきました。娘は京都市立看護短期大学を卒業しました。3年次に編入学をさせていただいのです。京都には看護大学がありますが、編入生の受け入れをやめた為、保健師の勉強の為に、娘の同級生は神戸や、滋賀県、岡山、和歌山など周辺の県の看護大学に編入学しました。入学式では感謝の気持ちでいっぱいでした。また、可愛い校舎でびっくりました。有意義な2年間を過ごして欲しいと思います。式の後、保護者と教員との懇談会もありました。なんと60人もの専任教員がおられて皆さん熱意をもってお話され感心しました。私も勉強したい!と思ったぐらいです。
 本来は京都市も神戸市立看護大学のように、いずれは大学になると思っていました。しかし、なんと娘の入学式の直前に、廃止することにしたと手紙が届きました。それから親子で反対する運動をしてきましたが、次年度から募集停止が強行されました。そして、留年生が2人残ったため、今はまだ存続していますが、彼女たちが無事実習が終わり、卒業すると廃校となります。看護学校をつぶすなんて本当に許し難い事態です。しかし、それをやってしまった市長が2月に再選しました・・・。

だんだん寂しくなります・・・。

2012年02月23日

 次女は、3月2日に看護学校を卒業し、4月からは、神戸の方の看護大学に編入学します。私が看護の短大を卒業した時は、京都府立保健婦専門学校があり、1年間の就学で、保健師の国家試験を受け、資格を取得しました。今は、専門学校はなくなり、府立医大の看護学部に吸収されてしまい、しかも、京都府立は編入学を認めていないため、保健師の勉強をしたい時には、他府県の学校に行かなくてはなりません。

 3月末に引越し、2年間学んだ後は就職をする事になりますが、おそらく、一人暮らしか寮などに入るでしょうから家には帰ってこないでしょうね・・・。

 そうなると、長女はすでに出ているので、長男と泊まりの仕事がが多い夫と3人暮らし(2人の時も多い)となります。ご飯を作っても、食べる人がいなくなると、気合も入りませんね。

 まっ、何かと手のかかる息子がいるので、しばらくは、寂しすぎることはないでしょうが・・・。

 そして、最も学費や子どもの居住費など、お金のかかる年となるので、寂しいなどとは言ってられません。

美味しい年越し蕎麦

2011年12月31日

今 年の年越し蕎麦は格段においしかった!それは、次女が蕎麦屋さんでバイトして、いただいてきたお蕎麦だったからです。家族みんなが揃うことが少なくなってきた今日この頃、にぎやかな年末となりました。長男も最近アルバイトを始めました。いい経験になればと思っています。

 ただ、年末に恒例となっているバラエティ番組(人気タレントが笑わさせ、笑ったらお尻を叩くという番組)を子どもたちが大笑いでテレビにかじりつくのも、恒例となっています。私は少しでも片づけしようとバタバタしている時だけに、イライラを堪えるのが大変です。

感謝 感謝のお別れ

2011年12月06日

とうとう、義母さんが逝ってしまいました。満87歳でした。大正13年生まれで苦労されてきた年代の方です。義父が亡くなってから、一人暮らしが気楽でいいと中京区のマンションに住んでいました。元気な折りには、地域の老人会やマンションの自治会のホットカフェなどに誘っていただき参加したりで、ほんとに地域の皆さんにお世話になりました。

 今年に入り、10年前に手術した肺がんの転移が広がり、認知症も徐々に進み、一人暮らしが困難になってきて、右京区にあたらしくできた老人ホームに入所してもらったり、病状が進んで、夏からは民医連中央病院で入院させていただいていました。10月1日からオープンした西館の緩和ケア病棟に転院してからは、呼吸困難を抑える為にモルヒネも投与され、あまり苦しむことなく、11月30日の早朝に逝ってしまいました。前日の晩10時頃に、呼吸がしんどそうで、食事も入らなくなっていたので、心配でしたが、血圧も安定し、意識もしっかりしていたので、「また明日の朝早めに来るしね」と別れたのが最後でした。その約5時間後ぐらいから血圧が下がり始め、連絡を受け駆けつけたときには、今さっき息が止まりました。と言われ、医師の臨終の診察に立会いました。

 覚悟はしていましたが、最後が早かったので、あっけなく残念な思いが残りました。

 看護学生の次女が亡くなってからではありましたが、駆けつけ、私が着物をマンションに取りに行っている間に、看護師さんと最後の死後の処置を一緒にしてくれました。

 家族が集まり、お通夜や告別式などの葬儀の間に義母さんとの想い出を語りましたが、子ども達がおばあちゃんとの想い出を語るのを聞いていて、忙しく働いていた私や夫を随分と支えてくれていたことをあらためて実感し、感謝でいっぱいになりました。

写真は長女と次女が小学生だった時に一緒に作ったお人形ですが、棺にそれぞれが入れてお別れをしました。

お義母さん、ありがとう!合掌

狸谷まつりで、奉納太鼓に出演

2011年11月03日

左京区にある狸谷不動産は交通安全などで有名ですが、そこのお祭りに上賀茂小学校PTA太鼓クラブとして、

参加しました。奉納太鼓ということになっていましたが、三宅太鼓と水神天神を演奏しました。

階段をたくさん昇った所にあり、山伏の方々がほら貝を吹きながら本堂に来られ、お経を唱えた後に

演奏しましたが、緊張しました。ほんとに、和太鼓にはまってしまいました!

Page 3 of 41234